メンタルヘルス

虐待・毒親の連鎖は断ち切れる

メンタルヘルス

子どもを愛せない親はいる

毒親をもつ子どもにとって、人から言われて一番つらい言葉はなんだと思いますか。
 
「子どもがかわいくない親はいない」
「生んでくれたことに感謝しなければ」
「親の悪口は言ってはいけない」

私もこれまで何度このセリフを言われてきたことだろう。
親を許せない自分が悪いのだと自分を責め続け、この呪縛から逃れるのに20年以上はかかりました。
というか、50歳を過ぎて親が亡くなった今もなお、このセリフを言われることがあります。さすがにスルーすることができるようになったけど(^^;。

ちょっと重い話になりますが…
私の兄は28歳で自死しました。私が長女を産んだ翌年のことです。

母は兄を溺愛していたので、おそらく兄の死を受け入れることができず、誰かのせいにしたかったのでしょう。
兄が亡くなったのは母と兄を見捨てて早々に家を出た私のせいだと言われました。
そして兄の葬儀の手続きや片付けはほとんど私がやったのだけど、その時に言われた言葉が「もう一人産んでおいてよかったわ」。母は私を妊娠した時、育てる自信がなくて一度は堕ろそうと思ったのだそうです。

兄の死後、父母は離婚。父は実家で一人暮らし、母は私たち家族と二世帯で同居を始めました。
ところが母は、私が外出から帰ると「兄を殺した殺人者が帰ってきた」と呪いのようなことを言うようになりました。
さすがに私のメンタルが持たず、母の顔を見ると呼吸ができなくなる症状が出始め、意識を失い救急車を呼ぶ騒ぎに。
それをきっかけに母は「これ以上殺人者と一緒には住めない」と、兄が残したお金で自ら高級老人ホームへ入りました。その後、ホームで母の担当についた兄と同じくらいの歳のケアマネージャーさんに800万円を貢ぎ、高級ホームにはいられなくなって安い施設へ移ることに。

私が「母が亡くなってもおそらく泣かないだろう」と思うようになったのは、この頃からです。

私は母の施設の保証人(身元引受人)にはなったけれど、施設の方に事情を話し、母と面会はできないことを了承してもらいました。
一度だけ母から「もう一度(私たち家族と)一緒に住んでもいい」と手紙がきたけれど、それも無視。
私が心配だったのは、母が長く生きればその分施設や介護費用がかさんでいくということだけ。
母は乳がんで亡くなりましたが、家族の希望としては「延命治療はせず、緩和ケアのみして下さい」と医師に伝えました。

亡くなった母を施設へ引き取りに行った時もやはり涙がでることはなく。
私って人間の心を失った悪魔になっちゃったのかな、と思いました。

一か月後、兄と同じお墓に納骨して「やっとお兄ちゃんと一緒になれてよかったね」とつぶやいた時に初めて少し涙が出たのだけど、それがかろうじて残っていた母への情だったのだろう。
納骨に同行してくれた長女がその言葉を聞いてぎゅーっと手を握ってくれたことで、すべてが報われた気がして、ようやく涙腺が決壊。けれどこの時の涙は、母が亡くなった悲しみではなく、頑張って張り詰めてきた糸が切れた瞬間の涙だったと思う。

何が言いたいのかと言うと、子どもを愛せない親は本当にいるのだ。
というか、子どもより自分の方が大切な親。
「亡くなるまで一度も会いに行くことはなかった」「亡くなった時に涙がでなかった」
これが母と私との関係性だったのです。
ちなみに父はというと、母と離婚後ひとり暮らしをしていましたが、大腸がんを発症。私は施設や病院での介助に通い、最後も看取りました。家庭を顧みない遊び人で決していい父親とは言えなかったけれど、父なりの愛情を感じることはできたから。
それが父と私との関係性でした。

仕事柄多くの人から話を聞く機会があるけれど、親に感謝できる人は、親からの愛情を少しでも感じることができた人たちなのだと思う。幸せなことだ。
でも、子どもを愛せない親がいるのだということも知っておいてほしいと思う。
「早く親が死ねばいいのに」と思っている人は、想像以上にたくさんいます。
そしてみなさん、そんなことを考えてしまう自分を恐ろしい人間だと思い、苦しんでいる。
いやいや、コワいのはそう思わせてしまう親の方なのだ。
私が言えることは、それが「親があなたと築いてきた関係性」の結果なのだということ。
産むだけ産んでおいて、愛せない、なんなら虐げてきた子どもの世話になろうなんて、虫がいいにもほどがあるわけで。血のつながりなんてクソくらえです。あ、失礼。
親は選べないのだから、「早く死ねばいいのに」と子どもに思わせてしまうような親から生まれたのは、しょーがないんです。
そこはもうしょーがないから、あとは自力で「産んでくれてありがとう」と言えるような楽しい人生にするしかない。
そこからは自分次第です。

「自分を育ててくれたのは親だけではない」ことに気づけば連鎖は断ち切れる

子どもにとっては、育てられてきた環境が「普通」であり、自分の親の言うことが「常識」。
なので暴力を受けてきた子どもは、親が子どもを暴力をふるうことは普通のことだと思ってしまう。
そして連鎖が起こり、自分の子どもや身近な人へ暴力をふるってしまう。

私は身体的な暴力は受けなかったけれど、母がまともな人でないことは物心ついた頃から薄々わかっていました。
なので親を反面教師として考えるようにして、洗脳される前に早いうちから家を出ました。
それでも、まともでない親に育てられた自分がまともなはずがないという不安はぬぐいきれなかった。

「私、大丈夫だ」と思えたのは、「自分を育ててくれたのは親だけではない」と気づいた時でした。
学校の先生、同級生、クラブの仲間、バイト先や職場の上司・先輩・同期・後輩、定食屋のおばちゃん…尊敬すべき「まともな人たち」から、たくさんのことを教わってきたではないか。
そんな人たちをリスペクトし、感謝することができる私は、ちゃんとまともに育っているはずだと。
これね、目からウロコの大発見でした。

そんなナゾの自信を身につけた私は、自分が母になった時も「この子たちを命がけで守っていこう」と心から思うことができたのです。
始めは「絶対に毒親の連鎖は断ち切れることを証明するのだ」と意気込んでいたのだけど、よく考えたら娘たちを育ててくれているのも親だけじゃないんですよね。
それに気づいた時、すとんと肩の力が抜けました(笑)。

お陰様で二人の娘は立派に成人し、今では私の方が支えられています。

大丈夫。周りにいる信頼できる人たちをしっかり見極めていけば、虐待の連鎖はとめられます。
私も娘たちも、いまだにたくさんの尊敬すべき「まともな人たち」に育てられています。
そっかあ、人は一生成長しつづけるものなのだなあ。身体はどんどん衰えていくけど。

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