銀行勤務時代から付き合いが続いている先輩のMIKIKOさんは、生粋の歌舞伎オタ…いえ、歌舞伎ファン。
今年の夏、2度目の乳がん治療中にMIKIKOさんから送られてきた陣中見舞いが「め組」のTシャツでした。
なぜ「め組」のTシャツなのかというと、話せば少し長くなります。
風月の本名は、「めぐみ」。ひらがなです。
実は、私が生まれて最初に父がつけた名前は「夏子」だったのだそう。
ところがすぐに父の初恋の人が「夏子さん」だったことが判明し、怒った母・智子さんが出生届けを出す直前に勝手に「めぐみ」に変更したのだとか。
だからと言って生まれたばかりの赤子に罪はなく、成長して母から恨みがましくそんな話を聞かされても「知らんがな」としか言いようがない。
そういうわけで私は自分の名前があまり好きではなかったのですが、人生の折り返し地点を過ぎ、父母も亡くなった頃、なぜか江戸の火消し「め組」がツボにはまり、ようやく「この名前もなかなかカッコいいんじゃね?」と思えるようになったのです。
そんな折、歌舞伎ファンのMIKIKOさんに「通販でめ組の半纏を購入した」という話したところ、返ってきた言葉が「めぐみという名前だとめ組の半纏が着られるから羨ましいなあ~」。いやいや、別にMIKIKOさんでもHAHAKOさんでもICHIROくんでも、め組の半纏を着ていいのでは? とツッコみつつ、初めて名前を褒められた(?)ことは少し嬉しかったりもしたわけで。
そんなことがあった後、闘病中に送られてきた「め組Tシャツ」。
他愛のないやりとりを覚えていてくれたことが何より嬉しくて、「よし、元気になったらこのTシャツを着て出かけるのだ!」…って、待てよ、これはどこで着ればいいのだ?!
半纏みたいに部屋着にするにはあまりにもったいないし、バドミントンの練習着にするのもなんか違う。下町のお祭りには着ていけるか…でも神輿担ぎやスタッフと間違われそうだなあ…などと思いめぐらせていたところ、またもやMIKIKOさんから来た神のお誘いが、シネマ歌舞伎「め組の喧嘩」だったのです。
あーもう、この日にめ組Tシャツを着なくていつ着るのだ?!
MIKIKOさんに事前に聞いたところ「映画館に着て来る人はいないだろう」とのこと。
ならばこっそりアウターの下に着ていけばいいではないか!
てなわけで、映画館の前で人気がないのをみはからってアウターを脱いで撮ってもらった珠玉の一枚がこちら⇩

さて、本題に戻ります。
MIKIKOさんに誘われて拝観した「シネマ歌舞伎」とは、高性能カメラで撮影した歌舞伎の舞台公演をスクリーンで上映する、松竹(株)が制作している映像作品。
「月イチ歌舞伎」では、話題の新作はもちろん、過去に上演された古典の名作のシネマ歌舞伎を毎月1週間ずつ(新作は3週間)上映しています。
詳しくはHPをご参照下さい⇩
シネマ歌舞伎


この日東劇で上映された「め組の喧嘩」は、2012月5月・東京浅草「平成中村座」で上演されたもの。
「平成中村座」は、故・十八世中村勘三郎丈が「多くの人に歌舞伎を楽しんでほしい」という思いのもと、江戸時代の芝居小屋を現代に復活させた劇場。
中村勘三郎丈は亡くなる半年前、この平成中村座で初役のめ組辰五郎に挑みました。

物語の舞台は、江戸の町。武家のお抱えの力士たちから「鳶は格下」と言われ、面子を汚された町火消「め組」の鳶頭・辰五郎が、密かに仕返しを決意し、鳶仲間たちとともに力士たちとの真剣勝負に挑みます。
理屈もへったくれもない、いたって単純明快な意地と意地、力と力のぶつかり合い。
見せ場は何と言っても、舞台と客席が一体となった空間の中で繰り広げられる、力士と火消したちの息をもつかせぬ大立廻り。
芝居小屋ならではの、高い屋根から自在に飛び降りるアクロバティックな演出や、声を上げて花道を駆けてゆく火消したちの気迫は圧巻です。
中村勘三郎丈はこの舞台の後、闘病の末57歳という若さで亡くなりました。
舞台に生き、舞台で人生を全うした潔いその生き様は、心血を注いで演じた辰五郎そのもの。
エンドロールで流れる舞台裏での勘三郎丈の笑顔は涙なくしては観れませんが、同時にたくさんの勇気ももらいました。
私自身の闘病から復帰直後に上映されたことも、持っているとしかいいようがないタイミングでした。
帰宅後、MIKIKOさんからのラインメッセージがあり。
「めぐもめ組の一員なのだから、これからも潔い人生を送って下され」
合点です!
私らしく人生を全うするぜ。
ありがとうございました。
コメント