休日の鎌倉といえば、今やコロナ明けも手伝ってインバウンドで大賑わい。人混みと行列が苦手な風月にとって、最近はできれば避けたい「ザ・観光地」のひとつ…だったのだが!そんな思い込みを払拭してくれたのが、鎌倉に住む旧友MARI。
まさに観光客が集中する1月の3連休初日に案内してくれたお散歩ルートは、地元を知り尽くした上にお正月に下見にまで行ってくれたとっておきのコース。ありがとう(T_T)
お天気にも恵まれ、HAPPYな一日となりました!

この日は10時に鎌倉駅を出発。途中でランチやお茶、ショッピングもしながらのんびり1周。鎌倉駅に戻ってきたのは夕方16時頃になりました。
途中に気になるお寺、神社、カフェ、ショップはたくさんあれど、あまり欲張らずにとりあえず「絶対に寄りたいスポット」を決めておいて、時間と体力に応じて寄り道するのがよろしいかと。
今回MARIが決めてくれていたメインスポットは
鎌倉駅 ⇒ 上行寺 ⇒ 妙本寺 ⇒ カフェカエル ⇒ 永福寺跡 ⇒ 鎌倉駅
あえて小町通りや鶴岡八幡宮・長谷寺・鎌倉大仏などの有名観光地を避け、雑踏から離れた静かで奥深い「鎌倉」を堪能できるオトナのお散歩コースです。
「上行寺」~人情あふれる病封じのパワースポット
最初に目指したお寺さんは、鎌倉駅東口から徒歩12分の場所にある上行寺。
身がわり鬼子母神と瘡守稲荷(かさもいなり:源頼朝公のおできを治した故事に由来しているらしい)が祀られています。
癌封じを始めあらゆるの病を封じてくれるご利益があることで知られていて、全国から参拝客が訪れるそうです。
実はこのお寺、乳がん治療中の風月を案じたゴスペル仲間のYOKOさんが、MARIを通じて紹介してくれたのだそう。
思いがけず人の優しさと気遣いに触れ、つい涙腺がゆるんでしまうアラカン風月でした(T_T)。

上行寺では、山号額以外の看板や案内板はほとんどが手書き。これがなんとも親近感があり。
公式のHPがないので個人ブログなどを覗いてみると、どうやらご住職のお人柄が素晴らしいようです。
「参拝に訪れた人ひとりひとりに丁寧に対応し、一緒に厄払いの祈願をしてくださる」
「商業的な欲がなく祈祷料やお守り代は心づけ程度」
「地元の方たちが悩み事の相談や世間話をしにやってきます」
などなど…
イマドキこれほど地域に根付いたお寺さんは、都会ではなかなか見かけないですよね。ぜひこの住職さんとお話したかったのですが、この日はあいにくタイミングが合わず、お会いできませんでした( ;∀;)。




今や2人に1人が癌にかかると言われる時代。さすがに祈願ですべての悪病を封じこめられるとは思いませんが、ご住職の思いや、気にかけてくれているMARIやYOKOさんの気遣いが何よりも嬉しくて。
「人の温かさに包まれることで病気に立ち向かうことができる」
そんなパワーをもらうことができたお寺さんでした。
あらためて支えて下さっているみなさまに感謝します。ありがとうございます。
「妙本寺」~心静かに壮絶な歴史への思いを馳せる
さて、次に向かった「妙本寺」。これがまた風月のドツボにハマったお寺さんでした
日蓮宗比企谷 妙本寺
鎌倉駅東口から徒歩約10分。
北条氏に滅ぼされた源頼朝の重臣・比企能員とその一族が葬られています。この時生き残った能員の末子である儒学者・比企能本が、比企の乱から50年あまり後に日蓮上人に帰依し、一族の屋敷跡であるこの地に建てた法華堂が始まりと言われています。










「祖師堂」日蓮宗の開祖・日蓮聖人(祖師)が祀られています。市指定有形文化財。二軒繁垂木の軒周りや、海老紅梁・龍の丸彫りなどの見事な彫刻が施されている荘厳な木造建築





比企能員(ひきよしかず)といえば、源頼朝の死後に合議制で政治を動かした家臣の一人。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で佐藤二朗さんが演じていましたよね。『諦めの悪い男』という回で、まんまと仁田忠常からのだまし討ちに合いながらも、悪あがき、精いっぱいの高笑いと捨て台詞を吐きながら首をはねられたシーンは記憶に新しいかと(^^;。
このあと、和田義盛、畠山重忠率いる軍勢が比企の館を襲い、比企尼を始め一族は一日にして滅ぼされます。
この時僅か6歳で命を落とした一幡之君は、2代将軍頼家の側室となっていた比企能員の娘・讃岐局が産んだ嫡子。一幡之君の小御所が焼かれ、その焼け跡に残った一幡之君の小袖を供養するため建てられたのがこの袖塚だそうです⇩

妙本寺がある「比企谷(ひきがやつ)」は、鎌倉駅から徒歩10分という近さにありながら、山に面した谷戸の深い緑と静寂に包まれた一帯。
歴史を見つめてきた木々や四季折々の花々が、壮絶な運命を背負った魂を守っている荘厳な空間。鎌倉の社寺の中でも心静かに過ごせる屈指の場所と言えそうです。

「cafe kaeru(カフェカエル)」~住宅街にひっそり佇む隠れ家的ガーデンカフェ
そろそろお腹もすいてきたお昼時。ランチは、カエルフェチ…いや、カエルオタク…いや、カエル好きのMARIが一度は行きたいと思っていたという、その名も「カフェカエル」へ⇩
カフェカエル
「カフェカエル」は、鎌倉宮近く、鎌倉街道を少し入った住宅街にあります






MARIは「野菜どんぶり」¥1700‐
お値段は鎌倉価格だけど、観光地の喧噪から離れ、緑に囲まれた静かな空間で極上の時間を過ごすことができましたケロ。
焼きたてのアップルパイやチーズケーキ、いい香りのコーヒーに後ろ髪をひかれつつ、それはまた次のお楽しみということで。
「永福寺跡」~無常と儚さが残る ”兵どもの夢の跡”
心もお腹も満たされたところで、MARIが最近では一番お気に入りの場所だという「永福寺跡」へ。
ところが「永福寺跡入口」という看板がある場所へ到着すると、そこに広がっていたのは何~にもないただの空き地。しかも思ったより狭い。
え、ここ(;’∀’)?「まあ「跡」なのだから建物はないとは言え、いくらなんでも…」とつぶやき絶句していると、「そんなわけないでしょ!」とMARIからツッコみが。
よかった、ここはただの駐車場でした(^^;。
駐車場脇の小道を入っていくと、ちゃんとありました。歴史的名所。

永福寺跡
「永福寺」は源頼朝が、1189年の奥州合戦で亡くなった弟の源義経や義経をかくまった奥州平泉の藤原泰衡ら数万の霊を供養するめに1192年に建てたお寺と言われています。
1450(応永12)年の火事で焼失して廃寺となりましたが、発掘調査により跡地が復元されたとのこと。
でもでも、義経や藤原氏を滅亡させたのは頼朝だよね。その張本人が供養するために建てたとな? 懺悔のキモチから?
いやいや、どう考えても頼朝自身の権力と栄華を示すために建てたとしか思えないよなー…。

復元CGによると、まさに頼朝がその栄華を誇るかのように、本堂の両側に阿弥陀堂、薬師堂の三堂が横に並ぶ壮大な寺院の遺構が確認されています。前面に広がるのは、中の島や釣殿がある広い池を持つ浄土式庭園。

実はここにいる間ずっと、風月のアタマの中には芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」という句がぐるぐる回っていたのだけど、「夢の跡ってここじゃないよな?少なくともここは関係ないよね」と思っていたのです。なんなら関ヶ原だっだか?とすら考えていた無知ぶり。
が、帰宅後調べたところ、芭蕉の句はまさに奥州平泉の決戦跡地で藤原氏や義経らを思って詠まれたものなのだな!
闘いのあとに残る、滅ぼされた者たち、滅ぼした者たちの儚い「無常」がひしひしと伝わってくる夢の跡。
建物はなくとも「鎌倉」を感じることができる名所のひとつでした。
ここからはふらふらと「鎌倉宮」や「源頼朝の墓」、鎌倉駅周辺のショップやカフェに寄り道しながら帰途につきました。











鎌倉旅のシメは、和カフェの人気店「もみじ茶屋」。いつも行列ができている小町通り店を避けて、西口の商店街にある2号店へ。ピークの時間が過ぎていたこともあり、並ばずに入れました

インバウンドで混雑する有名な観光名所こそ、メイン通りを外れたところに素敵な場所がたくさんあるのだな。
穴場って教えちゃうと穴場じゃなくなるのだけど、そこはどうしても教えたくなってしまうライター・風月のサガでありました。
これを読んだアナタも風月がもらった幸せを共有してくださいね💛
コメント
私も鎌倉大好きでたびたび訪れてますが、人混みとご飯やカフェの行列が悩ましいところ。さすがマリさん!素晴らしいアテンドね。
そして、いつも真っ直ぐな感謝を伝えられるメグさんだからこそ、皆が集まるのだと思います。カエルカフェは知らなかったわ。今度行ってみます!
xoko(笑)さん、あらためてありがとうございました。
立ち止まる余裕もなくキョーレツな向かい風に闘いを挑んできた半生でしたが、気がついたらあったかい人達に囲まれていました。
これ以上の幸せはないです(T_T)
カエルカフェ、私もリピ確定なのだケロ。
座席数が少ないのでランチは開店前に間に合わなければ時間をズラした方がよいかもです。