2年前に右側の乳がん手術と放射線治療を受け、今年また左側の乳房にがんが見つかりました⇩
異時性両側性乳がん①
~対側に再発しました
同じく早期発見でしたが、前回は非浸潤(入管にとどまっている状態)だったのが、今回は浸潤している(入管を破って乳房内に広がっている状態)とのこと。
摘出手術の際にセンチネルリンパ節を同時に検査して、全身に転移している可能性があるか判断することになります。
摘出手術と生検結果
摘出手術は今回も温存手術を希望。
がん細胞は1㎝未満と小さかったので、傷口も最小限の4.5㎝(リンパ節側は3㎝)ですみました。
手術の経緯は前回とほぼ同じです⇩
乳がんサバイバー②
あっという間の摘出手術
センチネルリンパ節の検査結果は転移なし。
これによって抗がん剤の治療はなくなり、前回と同じように放射線治療を受けることになりました。
なんと手術日の2日後(入院期間4日間)には退院。
一週間ほど自宅療養した後、8日目には娘の展示会へ出かけるほどに回復。
10日後に主治医の先生と今後の治療方針を相談するために診察を受けましたが、今回は溶ける糸で縫合したので抜糸もなく。
周りから「ほんとに手術したの?」と言われるほどの回復力でした。さすがに傷口が開くといけないので、バドミントンは3週間はガマンしたけど(^^;。
2年間で進化していた放射線治療
2回目の放射線治療は、手術から40日後に開始。
前回の詳細はコチラ⇩
乳がんサバイバー ⑦ 放射線治療
前回は33回の照射、通院は週5日(平日毎日)7週間にわたりましたが、今回は16回、約半分の期間ですむことに。
この2年の間に、放射線治療は「1回の照射量を増やし、照射回数を減らして通院の負担を少なくする」という方針が主流になっていました。
その結果、副作用は
〇倦怠感は前回よりキツかったように思います。
1日に1~2回、波がくると床に吸い付くような倦怠感に襲われ、起き上がれない状態が3~4時間続きました。
吐き気はなく食欲は普通にありましたが、気力が衰え、何もする気がおこらず、倦怠感がない時でもぼーっと過ごすことが多かったです。
〇皮膚のただれは前回より軽症でした。
日焼け程度に茶色くなった程度で、皮がむけることはなく。少し痒みがあったので2~3日ステロイドを塗ってすぐにおさまりました。
症状が出る前からヒルロイドを処方してもらい、びしゃびしゃと塗っていたのも予防効果が大きかったかと。
ヒルロイドの効用はコチラ⇩
「ヘパリン類似物質(ヒルロイド)」の効用
放射線治療後の皮膚のケア
放射線科のスタッフさん達は2年前とほとんど変わりなく、覚えていてくれた方もいて、今回も安心して通院できました。
ありがとうございました<(_ _)>。
ホルモン治療はやらないという選択
さて、無事に初期治療が終わったところで、今回も「この後のホルモン治療をやるかどうか」という選択を迫られました。
結論から言うと、前回と同じくホルモン治療はやらないことにしました。
こちらは前回の記事です⇩
乳がんサバイバー⑤ 病理検査結果
~放射線治療とホルモン療法
ホルモン治療は、乳がん再発を予防するために、短くても5年、長ければ10年薬を飲み続けることになります。
風月の場合、今回も早期発見でリンパ節への転移が認められなかったため、乳がん再発の可能性は10~20%。これがホルモン治療によって半分の5~10%に軽減されるとのこと。
ホルモン剤の副作用は薬の種類や個人によってその出方は様々ですが、全くでないという人はあまりいないようです。
来年には還暦を迎える風月は、今回も貴重な60代を副作用に悩まされながら過ごすという選択はできず。
というか、風月の場合は
劇症型潰瘍性大腸炎
⇒大腸がんになる可能性あり
子宮内膜症・卵巣嚢腫
⇒子宮がん・卵巣がんになる可能性あり
胆のうに影あり
⇒胆のうがんの疑いあり
と言われていて、乳がん以外にも年に数回各所の検査が欠かせないわけで。
この歳になれば、皆さんもそういうところのひとつやふたつ抱えていられるのでは。
背負ってきたものをおろし、ようやく自由になれた60代。
再発を恐れ副作用に悩まされながら過ごすのではなく、思う存分好きなことをして過ごしても罰はあたらないのではないかと。
現代の医学で生かしてもらい、そんな時間を残してもらえたこと、そして支えてくださっているすべての方へ心から感謝しつつ、日々を大切に生きていきたいと思います。
てなわけで、旅にバドミントンにゴスペル、復活です!
仕事はぼちぼち縮小していきますが(^^;。
こんな風月に「待ってたよー」と声をかけてくださる皆様、これからもヨロシクお願いします。
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