乳がんが発覚して3か月。猛暑が続く7月7日、ようやく摘出手術の日を迎えることになった。
空と星が大好きな風月にとって、七夕🎋はあまりにラッキーデー。いいことがおこらないわけがない。
最終検査は手術の3日前。
CT、血液検査、肺活量などの他、コロナのPCR検査も無事にクリア。よかった、これで手術が受けられる。
なんとこの検査の帰り道、以前お隣さんだった友人に、4年ぶりにばったり再会するというサプライズが。
元気で明るい友人から、最後に強力なパワーをチャージしてもらい、「いってらしゃい」とドンと背中を押してもらった。
手術前日に入院。明け方まで土砂降りだった雨が奇跡的にあがった。
さすが晴れ女の風月。持ってるなあー。
コロナで家族は病院には入れないので、一人で入院して一人で退院することになるが、手術中は、家族は何かあった時のためにいつでもケータイをスタンバイさせておかねばならない。
緊急連絡先に登録してもらった長女・SAKIと友人・HIIKOは、一日落ち着かない日を過ごすことになる。
申し訳ないですが、よろしくお願いします<(_ _)>
午前中に手続きを済ませ、翌日の手術に備えて準備を整えると…ヒマである。
ヒマだとろくなことを考えないので、ストレッチなどをして過ごしていたら、なんとこの日も「明日だね。がんばれー」のメールとラインの嵐が((T_T))。
なんという幸せ者。
最後の待ち時間も、最悪のことを考えるどころか、皆さんに返信をしながら最高に幸せな気持ちで過ごすことができました。
ありがとう( ;∀;)。
手術は朝イチの8時半から。
8時にドクターMが病室へ来て、モニターを見ながら胸部の切開する場所にマーキングしていく。
現在この大学病院の乳腺外科はドクターMがひとりで担っており、十数年前にお世話になったという人の話も耳にしていた。
やはり口が悪くて最初はびっくりするが(笑)、実績も技術も確かなので安心していい、と聞いていたのだ。
実際診察が始まると、融通が利かない大学病院の中で、時間外に検査を押し込んれくれたり、検査時には自らの目で確認にきたり、風月がかかっている消化器内科のドクターと連絡をとりあってくれたり。おそらく周りはかなり振り回されているであろうと思われる熱心さで対応してきてくれたのである。
今までどれほどの命を預かってきたのだろう。
想像を絶する仕事だ。
「では、手術室で待っていますから」と病室をでていくドクターMの背中に「安心してお任せします。どうぞよろしくお願いします」と手を合わせる。
迎えに来てくれた看護士さんと手術室へ向かう専用のでっかいエレベーターに乗ると、途中階で次々とストレッチャーや車椅子、点滴を引いた人々がのりこんでくる。
まるで「手術ラッシュ」やなーと思っていると、点滴を引いたおじさまが「みんな手術」とつぶやいて、一気に場がなごんだ。
手術室に入ると、10人以上のドクターたちに囲まれ、次々に名乗ってくれるのだが、覚えられるわけがない。
ドラマの手術シーンと同じだと感心していると、パカッと麻酔のマスクをつけられ、「はーい、深呼吸してくださいねー。」
その後の意識はない。
あとはまな板の上の風月だ。
手術室で一度意識が戻り、「風月さーん、終わりましたよー。リンパ節への転移はなかったですよ」という先生の声を聞き、涙が出たことだけは覚えている。
乳がんは、脇のリンパ節に浸潤すると全身に転移する可能性があり、ひと昔前までは、腫瘍の摘出と同時に腋窩リンパ節をすべて取るのが一般的だった。
これによる患者の負担は大きく、後遺症として浮腫が発生したり、腕や肩の運動障害が起こったりすることがあるのだ。
そこで、近年ではリンパ節の見張り番役の「センチネルリンパ節」という一部のリンパ節だけを採取し、手術中に生検を行い、浸潤が認められなければ腋窩リンパ節は残すのが主流になっている。
このセンチネルリンパ節の生検結果と、一か月後に出る摘出した腫瘍の病理検査の結果が、今後の治療を左右することになるのである。
まずはホッとしたところで再び眠りにつき、次に目が覚めた時は病室だった。時刻は14時半。
「ご気分はいかがですか」
「おなかすきました」
「お食事は明日の朝からですよ」
うっそー!夕食でないんかい((T_T))。
などと夕飯が出ないことにショックを受けることができるのも、ぜいたくな話である。
以前、潰瘍性大腸炎で緊急入院した時は、40日間の絶食に耐えたのだから、一日くらいどうってことない。
けど、やっぱりおなかすいた( ;∀;)。
酸素マスク、点滴やドレーンなど、さまざまな管につながれていてまだ腕は動かせないものの、指だけは動かせる。
とりあえず心配しているであろう娘たちとHIIKOにスマホから連絡。
みなさまにも翌日の午前中までには少しずつ結果報告を送ることができた。
おかげさまで無事帰還いたしました。
ありがとうございました。
翌日の病院内には、安倍元総理の悲報に激震が走ることになった。
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