2022年4月、「屋久島母娘二人旅」から帰宅後早々、3~4ヶ月前から気になっていた胸の「しこり」の犯人をつきとめるべく、婦人科のクリニックへ検診に行くことにした。
もともと2年に一度のマンモグラフィ検診では、小さなしこりが見つかったり、石灰化が残っていたり、なにかしらモンダイがあって「経過観察」が続いていたのだ。
けれど今回は、今までのしこりとは、なんか違う。
これ、乳がんの触診でよく言われる
「しこりの表面がつるつるしてればOK、ゴツゴツしてるとNG」
「しこりが動けばOK、動かなければNG」などと言う話ではないのだ。
↑そんなもん、皮膚や脂肪の上から触ったってよくわかんないし(^^;)
あえて言えば「直感」というしかない。
これはヤバイやつだ。
この動物的直感が、科学的根拠に基づいて証明され、早期発見につながったのである。
センター南にあるHクリニックの先生は、マンモグラフィ検診の後、追加で超音波エコー検査をすすめてきた。
そして「マンモグラフィの結果を待たずに、すぐに精密検査を受けて下さい」と、その日のうちに画像をCDに焼いて大学病院への紹介状を書いてくれたのである。
ちなみに横浜市の検診は、マンモグラフィの結果が出るのに1ヶ月かかる。
このHクリニックの先生の神対応には、本当に感謝しかない。
この時点でしこりはまだ直径1cmと小さいものだったが、風月は悪性であるとほぼ確信していた。
その日のうちに、もともと潰瘍性大腸炎で通院している大学病院へ予約をとり、3日後に乳腺外科へ。
乳腺外科のドクターMは、最初は「横浜市の検診結果を待たずに来るなんて」と苦い顔をしながらも、なるべく早い日程での組織生検を、無理にねじ込んでくれたのである。
最初はその口の悪さにメンタルをやられそうになったドクターMなのだが、クセのある話方とは裏腹な真摯な診察に、信頼度はどんどん増していくことになる。
無事に手術を終えた今、ドクターMとの出会いにも、本当に感謝しかない。
「組織生検」とは、病変の一部を採取し、顕微鏡でがん細胞があるかどうかを調べる検査。
今回行った「コア針生検」は、注射針より少し太い針を使い、ばねの力を利用して組織を採取する方法だ。
局所麻酔はするものの、「バチーーン!」というデカイ音はちょっとビックリ。
そして検査後、胸に広がる赤黒い内出血にもちょっとビックリする。
結果、やはり乳がんだった。
父は大腸がん、母は乳がんで亡くなっているので、私も覚悟はできていて、落ち着いて結果を受け止めていた。 …はずなのだが、さすがに軽い「初期パニック」には陥った。
元ルームメイトの友人・HIIKOを巻き込んで、情報収集と検査のデータ分析に一週間。
今のところ乳がんの中でも予後のいいタイプであることがわかり、ようやく事態を受け入れることができた。
日本乳癌学会が発行している
「患者さんのための乳癌診療ガイドライン」
が大変役に立ったので、最初に一読することをお勧めします。
さて、黒だとわかったからには、とっとと切ってほしいのだが、コロナの影響もあって、手術の予約は3ヶ月後。
せっかく早期発見だったのに、その間に大きくなっちゃうのでは? という不安がアタマをよぎったけれど、こればっかりは仕方がない。
ネットでは「乳がんは進行が遅いので大丈夫」としか書かれておらず、周りの例を聞いても、皆さんそんなもんだと。
中には半年以上待ったという人もいたので、3ヶ月ならいい方なのだろう。
その後のMRI等の検査で、しこりは1.7cmと少し大きい予想が出たが、それが短期間で育ってしまったからなのか、検査の誤差なのかは定かではない。
MRIは縦に切った画像なので「縦長」のしこりだったと思えば説明はつくが(^^;。
この3ヶ月が長かった。
治療に向けて仕事を減らしてヒマになったこともあり、とにかく余計なことを考えてしまうのだ。
術前の検査結果では予後がいいタイプという予想ではあるが、詳しいことは切開して組織を調べないとわからないのである。
どうしても最悪な事態もアタマをよぎる。
今回は抗がん剤は使わずにすみそうだが、もし使うことになった場合のために医療用ウィッグなども調べておいた。
美容師さんに勧められたウィッグはコチラ↓

横浜市ではウィッグの助成金制度もある。
がん患者へのウィッグ購入費助成
調べることがなくなったら、気をまぎらわすために友人たちに会ってもらい、元気をもらった。
が、手術前にコロナ感染だけは避けるように言われていたので、それも1ヶ月前からは自粛に入った。
中にはご利益のある神社へ一緒にお祓いに行ってくれるという友人もいたのだけど、それもガマン(>_<)。
手術前までに制作中のブログを完成させることを目標に、またおこもり生活が始まった。
そんな中、バドミントンの練習だけはギリギリまで行っていたのはなぜかと言われると、これまでなくなるとメンタルがもちそうになかったので、ガマンできなかったからです。ごめんなさい。
おりしも猛暑日が続き、熱中症の患者が続出する中、エアコンなしの体育館は灼熱地獄。
チームの責任者の方には本当に心配をかけてしまったけれど、励ましながらも、時には強制送還をしてくれる器の広さには、いつも感謝しています。
病院の緊急連絡先は、成人している長女・SAKIの他に、友人・HIIKOにも登録してもらい、手術前の家族説明も一緒に行ってもらった。
以前入院した時は、緊急連絡先2名は「家族か親戚」に限られていたので、一応HIIKOにも「従姉妹」になってもらったのだが(笑)、最近は「友人」でもOKになってきているらしい。
HIIKOはもはや、友人というより家族だ。
さらにブログを公開してからは、みなさんからの励ましメールやラインが殺到。
遠くは屋久島から、近くは近所のママ友だち、旧友、バド仲間、仕事仲間、本当にたくさんの方から「がんばれー!」のメッセージをいただきました。
今や二人に一人ががんにかかると言わる時代、なんだかことが大きくなってしまったようで恐縮しながらも、「されど、がん」なんですよね。
予想以上にメンタルとの闘いになった長い待ち時間、皆さんからの励ましのおかげで、萎えることなく手術日を迎えることができました。
あらためまして、ありがとうございました。
乳がん発覚から3ヶ月、ようやく摘出手術の日を迎えます。
⇒ 乳がんサバイバー② あっという間の摘出手術

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