次女・MIKUが二十歳の誕生日を迎えた記念に「浅草デビュー」をすることに。
風月の治療が終わったお祝いもかねて、長女・SAKIと母娘3人、下町・浅草界隈をめぐる旅にでかけてきました!
古くから江戸市民の大衆娯楽の場として発展した「浅草寺」周辺は、仲見世が開かれ大道芸の見世物が行われ、「浅草花やしき」や「浅草演芸ホール」など、人々を楽しませる文化が継承されているスポットが集まっています。
アクティブに水上バスやスカイツリーまで足を延ばすのもいいけれど、ここは一日かけて、人情あふれる江戸・下町にどっぷりとつかりたい。
この日はコロナで観光客が減少していた下町にもすっかり活気が戻り、家族連れや外国人観光客で大賑わい。
人混みと行列が苦手な風月母娘ではあるが、下町・浅草は、この賑やかで威勢のいいお祭り感がなくては始まらない。
さわやかな秋晴れの空の下、駅から降り立った瞬間からテンションはあがりっぱなしとなりました。
今回の行程はコチラ↓
① 浅草文化観光センター
② 天ぷら「三定」
③ 雷門・仲見世
④ 浅草寺・浅草神社
⑤ 浅草花やしき
⑥ 浅草六区通り
⑦ 浅草演芸ホール
浅草文化観光センター
まずは、雷門前にある台東区の観光案内施設「浅草文化観光センター」で地図をゲットしよう。
バリアフリーのトイレ、授乳室も完備しているので、特に子連れの家族は最初に立ち寄っておくことをおすすめします。



横浜から1時間半、駅に着いた頃には11時を回っていました。
すでに観光客で混雑し始めていたので、早めに昼食に入ることに。
浅草といえば天丼!
地下鉄出口1番口を出てすぐ、迷わず雷門の手前にある天ぷらの老舗「三定」に向かいます。
http://www.tempura-sansada.co.jp/
創業天保八年(1837年)、現在7代目に引き継がれている天丼の老舗。
いつも長い列ができており、この日は日曜日だったので半ば諦めていたのだが、11時過ぎだったこともあって幸い2~3組待ち。
ほどなく2F席へと案内してもらえました。




「三定」は浅草バスツアーの定番のお店にもなっています↓
お腹を満たしたところで、まずはあまりにも有名な浅草のシンボル「雷門」からスタート!
コロナ前の活気がもどり、観光客で賑わう東京の顔「雷門」は、浅草寺の総門。正式名称は「風雷神門」といいます。
右側に風神像、左側に雷神像が安置され、門の中央には高さ3.9m、直径3.3mの提灯が吊り下げられています。

雷門をくぐると、宝蔵門まで250mにわたり、日本で最も古い商店街のひとつである「仲見世通り」が続きます。

さてここで突然ですが、時代は1989年、昭和最後の年へさかのぼります。↓



さて、現代に戻ります。
仲見世のメイン通りには、浅草ならではのお土産屋さんや、人形焼き、手焼きせんべい等の食べ歩きもできる商店が軒を連ねています。
が、風月が好きなのは、仲見世通りから一本入った「観音通り」や「伝法院通り」。
穴場のおもしろいお店が点在しているので、ぜひ横道にそれて、フラフラと道草していこう。





仲見世通りを抜け「宝蔵門」の手前の右側にある広場には、トイレ、屋根付きのベンチやテーブルが設置されています。
仲見世で買った食べ物をゆっくりいただくのにもちょうどいい休憩場所となっていました。


あちこち寄り道、周り道をしながら、ようやく浅草寺「宝蔵門」に到着。
https://www.senso-ji.jp/
「浅草寺」は1400年近い歴史を持つ、東京都内では最古の寺。
「628年(推古天皇36年)、宮戸川(現・隅田川)で漁師が拾って持ち帰った一体の仏像を、里の童子たちが草で作ったお堂に祀ったのが始まり」だという逸話が残っています。
その後度重なる火災や地震、空襲により、焼失と再建を繰り返し、現在に至っています。
長い歴史の中、武将や武者たちの戦の守護としても信仰を集めてきた浅草寺。
鎌倉時代には源頼朝も平家討伐の勝利を祈願したといいます。大河ドラマ「鎌倉の13人」に思いを馳せる風月でありました。
「宝蔵門」は、左右に迫力ある仁王像(金剛力士像)を配していることから「仁王門」と呼ばれていましたが、再建後は内部に収蔵室が設けられ、浅草寺の宝物を収蔵していることから「宝蔵門」と呼ばれるようになりました。



浅草寺の中庭には数体の地蔵尊が奉安されている一角があり、なんとその中に「めぐみ地蔵尊」なるものが!
なにを隠そう、風月の名前はひらがなで「めぐみ」と書くのである。やはり風月は持っている。
この日のテンションがマックスに達した瞬間でした。

忘れてはいけない「御朱印」は、本堂ではなく「影向堂(よごうどう)」というお堂でいただけるとのこと。
上がったテンションを静めながら、本堂の北西にひっそりと佇む寄棟造りのお堂に向かいます。


浅草寺境内には、他にも「浅草神社」「三峯神社」「茶室天祐庵(伝法院内)」、本堂南東の小高い丘にある「弁天堂」など見所がたくさん!
あらためて平日に一日かけて、歴史を感じながらゆっくり周りたい。
さて、次なる目的地「浅草花やしき」は、浅草寺の左奥出口から2~3分、住宅街の真っ只中に突然現れます。
https://www.hanayashiki.net/
「浅草花やしき」は、1853年江戸時代末期に開園した日本最古の遊園地です。

開園当時は広大な植物園として誕生し、明治初期からは遊戯施設や動物園も併設。
その後、震災や戦禍により閉園を余儀なくされ、昭和24年に遊園地として再建されました。
波乱万丈の時代を経て各所に時代のなごりを残す「浅草花やしき」。
風月は昔からこの味のある遊園地が大好きで、浅草を訪れたら必ず寄る場所のひとつなのですが。
いかんせんこの日は、コロナ明け、さわやかな秋晴れの日曜日。
狭い園内は家族連れでごった返し、平日なら1~2時間もあれば周れる園内なのですが、人気のアトラクションは1時間待ちという混雑ぶりでした。
そこで「一日乗り物券」ではなく「回数券」を購入し、アトラクションは3つに厳選して周ることに。

絶対に外せないアトラクションは、昭和28年に登場した日本現存最古の「ローラーコースター」。
狭くて短いルートを一気に駆け抜けるため「町中に突っ込んでしまうのではないか」という怖さが醍醐味です。
次に選んだのは、遠心力を駆使して大回転を繰り返す「ディスク・オー」。
これまた狭い園内でブンブン振り回さて「町中に飛ばされていってしまうのではないか」という恐怖が醍醐味のアトラクションです。
そして最後は、これぞ日本の文化として継承していくべき、昔ながらの古式ゆかしき「お化け屋敷」。
平成世代の娘たちにはむしろ新鮮だったのでないだろうか。
3つのアトラクションを制覇した頃には、すでに日が傾きかけていました。

最後に向かったのが、花やしきの中で風月イチオシのパワースポット。
屋上のブラ坊神社に祭られている、笑顔の花咲く球根の神さま「ブラ坊さん」です。





プリクラを撮って建物を出た時には、ちょうど5時の閉園時間となっていました。
「花やしき」は、できれば平日に周ることをおすすめします。
「入園+フリーパス」なら割引チケットがお得↓
さて、ここからはオトナの時間。
「浅草演芸ホール」の夜の公演を観る前に、腹ごしらえするお店を探しに「浅草六区」へ繰り出します。
「浅草六区」は、浅草寺の北側にある繁華街の通称です。
明治17年、浅草寺境内地だった浅草公園の敷地は7区画に分けられ、浅草一区~浅草七区が誕生。
六区は、当初奥山地区にあった見世物小屋、芝居小屋が移転し、その後興行施設や飲食店がひしめく歓楽街に発展、日本の芸能文化の中心地となりました。
この日は秋の休日ということもあり、お祭りムード満載。下町の大道芸パフォーマンスで賑わっていました。





路面にテーブルを並べた昭和のレトロ感あふれる飲み屋さんが軒を連ねる「ホッピー通り」「いっぷく横丁」に寄りたいところですが、これから行く「浅草演芸ホール」では酔っ払いはNG。
美味しそうなラーメン屋さんを見つけたので、腹ごしらえはここで決まり。


ビートたけしやエノケンなど、多くの昭和スターを生みだした娯楽の町で、この日最後のお楽しみは「浅草演芸ホール」。娘たちは「寄席」は初体験です。
https://www.asakusaengei.com/
「浅草演芸ホール」は都内に4軒ある「落語定席」のひとつで、都内の寄席では最大の規模。
落語を中心に、漫才、手品などの色物芸が多数執り行われています。



一日はしゃぎまわった疲れと、満たされたお腹…風月の目が開いていたのは、演目2番目の漫才まででございました<(_ _)>。子どもか(^^;?
公演が終わったのが21時。
六区ブロードウェイのビルの谷間に、いい感じにお月様が出ていました。

下町・浅草母娘3人旅、これにて帰途につきました。
次回はホッピー通りで飲みたいね。
奥浅草まで足を延ばしたてみたい。
屋形船もいいかも。
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