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「嵐」が国民的スターである理由(ワケ)

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絶賛「乳がん治療」真っ只中の風月。仕事は休業中である。

腫瘍摘出手術が終わり、ようやく動けるようになったと思ったら、世の中は「最大級のコロナ禍」で、友人たちには会えず、外出もままならない。
ジョギングくらいなら、と走り始めると「殺人的な猛暑」に襲われ、5分もたたず熱中症になりかかる。
トドメは「原爆の日」と同時に始まった「放射線治療」。
やっと再開できると思っていたバドミントンも禁止となった。
この際だからと、たまっていた本を読んだり、映画を観て過ごしてみるも、なんだか余計なことばかり考えてしまう。
大好きな音楽を聴いても、ネット配信でストレッチやヨガ、フィットネスで体を動かしても、どうにもムナしい。

ヤバい、メンタルやられてる。このままだと「うつ」まっしぐらではないか。
と、思っていたところに現れた救世主が「嵐」である。
次女・MIKUと一緒に、久しぶりにコンサートライブDVDの上映会を開催。我が家はTVだけは大画面なのである。
美味しいツマミとスィーツをお供に、嵐の応援ソングに合わせて2時間踊りまくったら、心地いい疲れとともにアタマのモヤモヤがすーっと引いていくのを感じた。
われながら単純やなー(^^;。

言っておくが、風月は嵐の追っかけというわけではなく、嵐が大好きな「お茶の間ファン」のひとりである。
(風月が半世紀を共に歩んできたバンドは「サザンオールスターズ」なので。)
けれど、嵐に救われたのはこれが初めてではない。

嵐にハマっているのは次女のMIKU。
彼女は活動休止中の今でもファンクラブに入り続けている、相当ガチなファンなのだ。
(ちなみにMIKUの推しは相葉君。風月は大野君。あ、聞いてないか。)

嵐を聴いてよみがえってくるのは3年前。コロナ第1派の外出規制の中で迎えたMIKUの大学受験の年だ。
離婚直後、母娘3人で逃げ込んだ一時避難場所の狭いマンションで、塾には行かず、母・風月と長女・SAKIが講師となって乗り切った1年間。
今思えば、もう少し長く続けば誰かがおかしくなっていたと思うほど、母娘とも極限状態に追い込まれていた。

そんな中でMIKUにとって唯一の息抜きが「嵐」のDVD(&阿佐ヶ谷姉妹の動画)を観ることだった。
たまたま親戚のひとり(60代 従兄弟の妻)が嵐のガチファンで、コレクションを貸し出してくれたので、受験中は夕食の時間に1時間だけライブDVDを観るのが習慣となっていたのである。

そして当初は「嵐はアイドルグループのひとつ」と思っていた風月も、一緒になって観ているうちに、彼らの魅力にどんどん引きずりこまれていくことになった。
コロナ禍での夜のジョギング中も、毎日「サクラ咲け」を聴きながら、MIKUが悔いのない受験を達成できるように祈りながら走っていたものである。
今でもこの曲を聴くとちょっと泣けてくる(笑)。

衝撃の活動休止宣言が発表されたのがこの年だったので、受験直前となった年末の最後のライブは見送ることに。
明けて、悔いのない受験を乗り越えた次女とドルビーシネマで観た「Record of Memories」は、忘れられないものとなった。
https://tsukitoyanagi.com/arashi520/

なんといっても「世代を超えてストレートに元気をあたえてくれる」のが、彼らが国民的スターといわれる由縁なのだろう。
なにしろ10代(MIKU)~ 50代(風月)~ 60代(従兄弟の妻)が、彼らを中心に盛り上がり、計り知れない元気の源となっているのだから。

活動休止中であってもなお、ピンチの時にパワーをくれる彼らは、あらためてスゴイ。
そりゃあ「大野君、帰ってきて( ;∀;)」とは思うけれど、「もう十分だよ、ありがとう」という母心(誰の?)も、なきにしもあらず。

ガチではないけど、嵐を心から愛する「50代お茶の間ファン」のつぶやきでした。

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