先日友人から面白い話を聞いた。
還暦を迎えた知り合いが『人間関係の断捨離をする』と宣言した後、ぷっつりと連絡が途絶えたの言うのだ。
「まさか自分が断捨離の対象になるとは思わなかったわ」と苦笑する友人。
思わず「断捨離する相手に宣言するんかい!」と爆笑してしまったが、ツッコミどころはそこだけではない。
そもそも人間関係なんて「100か0」で簡単に割り切れるものではない。
家族同然、またはそれ以上の無二の親友もいれば、たまにしか会わないけれど、会えばものすごく深い話で盛り上がる人もいる。
個人的に会うことはないけど、趣味のサークルだけでつながっている仲間。
近所に住んでいるけど、あいさつ程度しかしない人。
何かされたわけではないけど、ウマがあわない、ちょっと苦手な人。
顔も見たくないほど嫌いだが、仕事でどうしても関わらなければいけない人。
100人知り合いがいれば、100通りの関係がある。
そしてその関係性は、時間とともに変わっていく。
少しずつ親交を深めていけることもあれば、長年仲良くしてきたのに疎遠になってしまうことだってある。
いつか会いたいと思いながらも、きっかけがなくて一生会わずに終わってしまう人だっているだろう。
家族だって同じだ。
人も環境も変わっていくのだから、それに伴って関係性が変わっていくのも当たり前なのである。
そんな曖昧で不安定な人間関係の断捨離って、どこで線引きをするんでしょーね。
バッサリと断捨離されてしまった友人は、切られて困る関係ではなかったものの、やはり自分を否定されたようで傷ついたという。
そりゃそーでしょう。
明らかに人を傷つけるDVや、極端な依存関係の場合はバッサリと切らなければならない時もあるけれど、それは自己防衛であって、断捨離とは別の話だ。
心地いい関係を維持するために大切なことは「距離感」ではないかと。
コロナ禍であらためて周りとの人間関係が見えてきたという人は多いと思うが、それは距離感を確認することができたということなのでは。
しんどい人間関係をズルズルと続ける必要はない。
嫌なことは嫌、無理なものは無理だと言う。
それを受け入れてもらえない人は、自然に離れていくだろう。
そして去るものは追わない。
執着しないこと、依存しないことも大事だ。
要するに、しっかりと自分を持ってさえいれば、自然と心地のいい距離感を保った人間関係を作ることができると思うのである。
なので、自分にとって必要(100)か、否(0)かで判断して切り捨てていく「断捨離」という考え方は、極端すぎてどうにも違和感がある。
逆に言うと、そういう考え方をする人から断捨離を「されなかった」場合、ちょっとコワイ。
私、そんなにいい人じゃないので。その人のおメガネにかなってしまうより、今のうちに断捨離してくれた方がいいとさえ思ってしまうのである。
人間関係って、モノじゃないのだから。
切らなければいけない人間関係はコチラ↓。
DVは病気ではない
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