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「森羅万象 八百万の神」~日本人の愛すべき「ちょっといい加減な宗教観 」

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半世紀の間「自分は無宗教である」と思ってきた

きっかけは高校時代。ある宗教の人から、毒親だった母のことを「子どもがかわいくない親はいない」「お母さまも苦しいのだから許してあげて」と言われたことがあった。
これがトラウマとなり、生みの親を許せない自分が悪いのだと自分を責め続け、宗教アレルギーをおこしてしまったのである。
なので20~30代の頃は、世の中の不条理と闘いながら「この世に神も仏もあるものか」ととがっていた。
「世の中のことはすべて神の思し召しである」という考え方に違和感を覚え、「それってただの責任転換やんけ」「自分の人生、自分で選んで自分でオトシマエつけんでどーするの」と肩肘張って生きていたのである。

けれど気がつくと、初詣には欠かさず行っているし、子どもたちには「日々是感謝」「一粒のお米には7人の神様がいて、粗末にするとワーワーと出てきて怒られるんやで」と教えてきた。
歳を重ねるごとに神社に行くと心が安まるようになってきて、旅先では必ずその土地の神社に寄ってお参りをして、御朱印を集めたりもしている。
今年訪れた神秘の森「屋久島」では、悠久の時を経てきた樹々たちに神が宿っていることを体感し、どっぷりとつかって浄化されてきてしまった。

屋久島の森の奥にひっそりと佇む「牛床詣所」
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屋久島春の母娘女子旅⑧~牛床詣所など

そしてやっと気がついた。
風月は無意識のまま、日本という国に根付いている「森羅万象、八百万の神」を信仰していたのだ。
神の存在を信じるとか信じないとかいう話ではなく、自然の中に身をおくと、抗えない「自然の摂理」「神の気配」を感じてしまうのである。

生活に根付いている神社仏閣 ~愛すべき日本人の宗教観

神教は、日本で発祥した唯一の民族宗教だ。
あらゆる自然物、自然現象には神が宿っているという考え方。
それは無限にあって、そこには「絶対的な教え」などはない。

八百万の神々は、別に人間を救ってくれるわけではないのだ。
むしろ神の怒りに触れると自然災害や疫病など不条理なことが起こるから、人間たちは神を怒らせないように健全な精神と感謝をもってつつましく暮らしてきた。
全国各地で行われている「奇祭」と呼ばれるヘンなお祭りは、神々を楽しませご機嫌をとるために、いたって真面目に継承されてきているのである。
「神に救ってもらのではなく怒らせないように…」という考え方が、依存的でなく、ある意味たくましいと思ってしまう。

そして神社仏閣という言葉があるように、多くの日本人は「神教」と、インド、中国から伝わった「仏教」をなんとなく融合して、調和させながら過ごしてきた。
七福神などは、日本の神様は恵比寿天の一人だけ。他はインドのヒンドゥー教や中国の道教から由来している。
新年にはお寺か神社で初詣をし、七五三や結婚式は神社でとり行い、お葬式はお寺でお経をあげてお墓に入るのである。

日本人は神仏以外の他の宗教にも寛容(?)だ。
ハロウィンやクリスマスやなどはイベントとして取り入れて大いに楽しみ、一週間後には神社で丁寧に手を合わせ、静かに正月を迎える。
かくいう風月はキリスト教系の大学を出たが、在学中に一度も礼拝に出席していない。
結婚式は白無垢よりドレスが着たかったので、他の大学の教会で行った。神の前で神妙に永遠の愛を誓ったが、20年後に離婚した。
次女は神教系、仏教系の大学も受験したが、結果的にキリスト教系の大学で国文学を学んでいる。

この一見節操がないように見える日本独特の宗教文化は、海外から見るととても違和感があるらしい。
けれど風月は、よく言えば柔軟、悪く言えばいい加減なこの日本人の宗教観が好きだ。
様々な宗教をいいとこどりしているけれど、なんだかんだ言いながらも日本人の根底にはやはり「森羅万象 八百万の神」の考え方が根付いていると思うのだ。

煮詰まった時はカルト宗教ではなく「お参り」「巡礼」の旅へ

「最近の若者たちは、簡単に身近な人間やモノを『神』扱いする」と嘆く大人もいる。
元気をくれる推しの芸能人、ちょっとした窮地を救ってくれた人、癒しを与えてくれるモノは全部「神~~💛」。
風月はそれもいいんじゃないかと思う。すべての事象には神が宿っているのだから、自分が神だと思えばそれが神なのだ。
そういう意味では、私の神は桑田佳祐さんだな💛。

ただね、いくら宗教の自由があるからと言っても、自らを「教祖」「神の遣い」であると言ってしまう「人」は、意味がわからない。
ついでに言うと、マインドコントロールされて高額なお布施や商品を買うことを徳とする宗教なんてありえない。
カルト宗教は心が弱っている時ほど、その隙間に入りこんでくるのである。待っているのは身の破滅だ。
どうしようもない不条理に向き合わなければいけなくなった時は、まずは日本人が育んできた自然の摂理である神教、それに融合した仏教に触れてみるといいのではないかと思う。

現代では神社仏閣の文化もさらに自由になり、「お遍路巡り」などは、徒歩でも車でも、自転車、タクシーで周ってもいい。服装も自由。本来の白装束と杖で気を引き締めてもいいし、アウトドア系のラクな恰好でもいい。
ツアー会社主催の「お参り・巡礼ツアー」なんてのもある。
煮詰まった時には、ふらっとそんな旅に出てみるのもおすすめです。

調べてみると、クラブツーリズムがお参り・巡礼・お遍路ツアーの企画に力を入れているようです。

「四国八十八か所」の旅、風月も行ってみたい。

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