『えっ、わたしの話で救われる人がいる?それは依存症というものよ。あとは、じぶんで考えてよ』
宝島社が制作した、故・樹木希林さんを起用した企業広告のコピーの一部だ。
その生き方、考え方、人柄が大好きだった樹木希林さんが残した言葉の中でも、これほどウケたフレーズはない。
人と人との関係で難しいのは「距離感」だ。
若かりし頃は、この距離感を誤って近づきすぎてしまうことが多々あった。
その結果「依存」されてしまい、そうなると最終的には手を放さざるを得なくなるのだから、そりゃあ相手は戸惑うだろう。
そんなこともあって友人とは適度な距離感を保つよう気をつけてきたつもりなのだが、それでもいまだに依存されてしまうことがある。
で、気がついたのだが、これは「距離感」の問題ではなく、そもそも「依存体質」が強い人が一定数いるのではないかと。
依存体質の人にうっかりアドバイスめいたことを言ってしまうと、自分で考えることなく、言った通りに動いてしまうのだ。
そして、その結果が良ければ「その人のおかげ」、結果が悪ければ「その人のせい」になってしまう。
もちろん私もたくさんの人に助けてもらいながら、感謝しながら生きている。
迷った時には情報を集め、色々な人の経験や考え方を聞くこともある。
けれど、最終的には自分で考え、自分で決める。
なので、結果が良かろうが悪かろうが、それは自分の責任だ。
そしてどんな結果であろうが、自分で決めたことなのだから後悔はしない。
判断力のない小さな子どもは親に依存しているので、親の言うことが100%正しいと思っている。
けれど思春期にもなればそうではないことに気が付き、反抗期を経て自立していく。
なので娘たちには、ことあるごとに「親の言うことが正しいとは限らない。親の価値観と自分の価値観は違っていて当たり前」だと話してきた。
そのためかどうかは分からないが、成人した娘たちは、私にアドバイスを求めてくることはあっても、結論は自分で出しているし、少なくとも物事を「人のせい」にすることはない。
そりゃあ人並みに愚痴や文句は言うけど、全くそれがないのもある意味コワイので(笑)。
そして今や、私も娘たちによく意見を求めていたりする。
家族にしても友人にしても、依存ではなく「自立を支え合える関係」が理想なのだと思う。
ただ、この先気力体力が衰えてきた時に、「ワガママ」と「自立」をはき違えた、周りに迷惑をかけるだけのガンコばあさんにだけはならないように気をつけたい。
これなー、私の場合、ほんとに気をつけなきゃ。
『老いては子に従え』という諺は、「子どもに依存しろ」という意味ではなく、「柔軟に生きよ」という意味だと、私は思っている。今のところ。
最後に少し話は逸れるが、人への依存が強い人は、ネットへの依存も強い傾向にあるように思う。
情報はたくさん集めた方がいい。色々な人の考え方も貴重な情報のひとつだ。
けれど、その情報を「選択」して「考える」、そして「決断する」のは、あくまでも自分だ。
その覚悟がないまま、ネット等にあふれる無責任な情報を鵜呑みにして流されてしまうと、情報社会に埋もれるだけだ。
さらにはネットの狭い世界が唯一の世界となり、それは生きづらさにつながっていく。
恐ろしいことだ。
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